STORYストーリー
元ヤクザの小泉拓郎は、家族のために足を洗い、幼い頃からの夢だった漫画家を目指していた。すれ違いから妻と離婚し、月に二度だけ会える幼い子どもたちを生きがいに原稿に向かう日々。しかしある日、彼は突然、肺がんと診断される――。
夢への渇望と父親としての責任のはざまで揺れながら、消えない葛藤を抱えて生きる小泉。元ヤクザとしての過去、自分を慕い続ける弟分との絆、そして子どもたちへ遺したい愛。残された時間で、彼は何を描き、何を遺すのか。


いなくなっても、父でいたい。
映画制作決定
原作・監修:沖田臥竜企画・プロデュース:藤井道人監督・脚本:澤口明宏
家族と過ごす、何でもない時間。その一瞬一瞬を見つめる映画『木漏れ陽』。
夢を追う父と、月に二度だけ会える子どもたち。限られた時間の中にある日々の会話や笑い、言葉にならない思いを、ドキュメンタリータッチの手法で描く、切なくも温かな人間ドラマ。
元ヤクザの小泉拓郎は、家族のために足を洗い、幼い頃からの夢だった漫画家を目指していた。すれ違いから妻と離婚し、月に二度だけ会える幼い子どもたちを生きがいに原稿に向かう日々。しかしある日、彼は突然、肺がんと診断される――。
夢への渇望と父親としての責任のはざまで揺れながら、消えない葛藤を抱えて生きる小泉。元ヤクザとしての過去、自分を慕い続ける弟分との絆、そして子どもたちへ遺したい愛。残された時間で、彼は何を描き、何を遺すのか。
原作小説
原作・監修
沖田臥竜
企画・プロデュースの藤井道人監督と映画「ヤクザと家族」で知り合い、「ムショぼけ」や「インフォーマ」シリーズを一緒に生み出してきた。
私の場合、藤井監督との「出会い」が全てのメディアミックスの原点になっている。
忘れもしない。サイゼリヤだ。サイゼリヤで撮った何気ない写真を藤井監督に送り、それが「木漏れ陽」のスタートになったのである。
作り手がわくわくドキドキしなければ、人の心を鷲掴み、揺さぶるような物語なんて生まれてこない。
私はいつも藤井監督から「沖田さん!次はこんなのをやりませんか!?」と連絡があるたびに、わくわくドキドキしながら、腕を鳴らすのである。
今度は家族愛である。私が筆を握ったのだ。号泣させてやろうではないか。
観てくれた全ての人々を私の地元・兵庫県尼崎市から、泣かせてやろうと思っている。
澤口監督とは「ムショぼけ」や「インフォーマ」でも一緒にやってきた。とにかく真面目で人柄が良いのだ。どのような仕事でも、人柄の良さと真面目さが最優先されるべきではないだろうか。
BABEL LABELのプロデューサー・高柳亮博さんも何年も前から知っていて、今回「木漏れ陽」で高柳さんのもっともっと深い所を知ることが出来た。
一言でいえば最高な人物である。
ここからは、我々の時代である。映画「木漏れ陽」で一つの時代を作りにきた。
大勢の人々を映画館で涙させようと思っている。日本中を号泣させようと思っている。
心配するな。私は私で唯一無二である。誰にも真似のできないヒューマンを用意している。
誰かの心の片隅に「あの映画、面白かったね」と何年、経っても残ってくれますように。
沖田臥竜
監督・脚本
澤口明宏
原作を読んで、小泉と子どもたちが過ごす時間が、もう少し続いてほしいと思いました。ご飯を食べながら言い合いをして、くだらないことで笑い、眠る前にはいつもの言葉を交わす。読み終えたあとも、そんな何でもない時間が心に残っていました。だから、この親子の「今」を映画にしたいと思いました。
小泉は、父親としてちゃんとやっているつもりでも、そう受け取ってもらえるとは限らない。漫画を描きたいという夢もあって、誰かのためにしていることと、自分のためにしていることを、本人も分けられていないのかもしれません。それでも、子どもたちを愛していることに変わりはない。そんな小泉を、きれいに整理せずに撮りたいと思いました。
残された時間で何かをなすことが、本当に正しいのか。何かを遺そうとする小泉を見ながら、そんなことも考えました。ただ、彼らが一緒に過ごす時間のすべてが、別れのためにあるわけではありません。子どもたちには今日遊びたいことがあるし、小泉にも描きたい漫画がある。命に限りがあることと、目の前の毎日を生きていること。その両方を見失いたくありませんでした。今回は、こちらが考えた答えに近づけることよりも、台本から逸脱したとしてもその場に生まれるやり取りを大切にしたくて、ドキュメンタリーを撮るようなアプローチをします。
そうして一つひとつのシーンを積み上げた先に、本当に何かが見えてくるのか。何もない、散漫なものになってしまうのではないかという怖さもありました。それでも、その不安を埋めるために、人物の気持ちや場面の意味を決めてしまいたくはありませんでした。主人公だからといって、小泉のすべてがわかるわけではない。撮る側も、わからない部分を残したまま、その人のそばにいられないかと考えていました。そうした姿勢を保ちながら一本の映画にしていくことは、とても難しく、自分にとって大きな挑戦になります。
『ムショぼけ』『インフォーマ』とご一緒してきた沖田さん、そして盟友である藤井監督から、本作の監督を託していただきました。沖田さんが描いたこの親子の時間を、役者やスタッフと一緒に、自分が本当に撮りたいと思える映画にすることで、二人の信頼に応えたいと思っています。
死に向かう物語の中で、最後まで、生きている人間を撮りたい。完成する瞬間まで、この人たちと向き合っていたいと思っています。